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「国立大の学納金を150万円に」発言の背景は?

現在は授業料が年50万円台に抑えられている国立大学の学納金(家計負担)を、150万円に引き上げるべきだ――。3月末の中央教育審議会(中教審、文部科学相の諮問機関)であった委員の発言が、1カ月たってもネットや新聞で取り上げられるほど波紋を広げています。背景には、何があるのでしょうか。

少ない助成金に私学は不満

発言があったのは、3月27日に開催された中教審の大学分科会「高等教育の在り方に関する特別部会」第4回会合です。同部会は、少子化で大学など高等教育機関の再編や統廃合が避けられないことから、昨年11月に発足。以後、ほぼ月1回のペースで会合を重ねています。今のところ論点を絞っているわけではなく、委員や有識者の発表による「ヒアリング」を基に、自由討議している段階です。
この日ヒアリングに立った委員の伊藤公平・慶應義塾長は、慶應義塾大学も加盟する日本私立大学連盟(私大連)の調査を基に提案しました。

注)伊藤公平・慶應義塾長による提案「大学教育の多様化に向けて」から転載

それによると学生1人に掛ける年間経費は、国立大学が335万円なのに対して、私立大学は154万円。一方、授業料などの家計負担は、それぞれ54万円、124万円と逆転しています。
国立大学は、国から多額の「運営費交付金」を受ける一方、授業料は国の定める「標準額」(現在は53万5800円)の20%を上限に各大学が決めるという方式で、家計負担が抑えられています。これに対して私大には国からの「私学助成金」があるものの、大学数に比べて総額が少ないため、せいぜい必要経費の1割程度しか賄えません。そのため、収入の多くを学納金に頼っているのが実情です。
もともと私立大学側は、こうした不公平さに昔から不満を抱いていました。しかも国立大学は、04年度に文部科学省の1機関から国立大学法人に移管され、自由な競争ができるようになっています。しかし財政基盤に大きな差があっては、私立大学は太刀打ちできません。だから国公私立を問わず学納金体系を同じにして、「協調と競争」を促すべきだというのが、伊藤塾長の主張です。

アクティブ・ラーニングで教育コスト高まる

ただ伊藤塾長は、国立大生から一律に150万円を徴収すべきだと主張したわけではありません。国公私立を問わず、学生それぞれの事情に応じて奨学金や貸与制度を整備することで、負担軽減を図る制度を提案しています。
そもそも、なぜ授業料はこんなに高いのでしょうか。受験生の祖父母世代が大学生だったころは、100~200人が入れる大教室で1人の教員が一方的に講義をする「マスプロ教育」が普通でした。戦後のベビーブームで急増した世代に進学熱が高まり、大学に殺到する学生を、あまりコストをかけずに受け入れるには、それしかありませんでした。しかも当時は高度経済成長の時代で、企業側は大学教育にそれほど期待せず、採用後の研修で社員を育てたい意向が強かったのも事実です。
しかし景気低迷の時代に入り、雇用環境は変わりました。企業側に一から研修を施す余裕がなくなる一方、国内外の競争に打ち勝つには少しでも優秀な人に入社してもらわなければなりません。そのため経済界は、大学教育の質を高めるよう求めました。
これに応える格好で、大学には「アクティブ・ラーニング(能動的学修)」が広がりました。小グループによるフィールドワークやディスカッション、プレゼンテーションなどを通して、幅広い能力を培う学習方法のことです。それには手厚い教員配置はもとより施設・設備も必要で、当然コストがかさみます。高度な大学教育を実施するためには、学生1人当たり年300万円が必要だと伊藤塾長は指摘しました。
問題は、そのように高騰した教育のコストを誰が負担するかです。諸外国を見ても、スウェーデンのように大学教育を無償にする国もあれば、アメリカのように1000万円以上の授業料を設定して奨学金や学生ローンを用意する国もあります。
大学進学は個人だけでなく、社会全体に利益をもたらすという考え方もあります。国の教育政策をどう考えるかは、18歳で選挙権を得る受験生自身の課題でもあるのです。

渡辺敦司(わたなべ・あつし)
教育ジャーナリスト

1964年北海道出身、横浜国立大学教育学部卒。教育専門紙「日本教育新聞」記者を経て98年よりフリー。主著に『学習指導要領「「次期改訂」をどうする―検証 教育課程改革―』(ジダイ社、2022年10月)。